IMFと世界銀行に対するプラハ抗議に向けた
国際共産主義者同盟の声明

世界社会主義革命を通じて
帝国主義の搾取を粉砕せよ!




 「プラハ、シアトルと化す?」10年前に東欧と旧ソ連邦を崩壊させた資本主義反革命がなければ、世界銀行と国際通貨基金がプラハで会合を開くことなどないだろう!「ビロード革命」はチェコスロバキアを引き裂いた。そして現在、労働者や女性そして国家的また民族的マイノリティは、資本主義市場の露骨な搾取と貧困化と略奪に苦しんでいる。「自由」という幻想についていえば、今日、米国のFBIによって特別に訓練を受けNATOによって後押しされた警察部隊が、帝国主義の銀行家のために「法と秩序」を残忍に強化し、労働者や左翼のデモを脅かしている。  

 プラハでの「グローバルな行動の日」に向けた公式の呼びかけは、勤労者への配慮についてのお喋りにもかかわらず、資本主義のショック療法については何も語っていない。このショック療法は、ロシアで平均余命を急激に低下させ再び飢餓へと陥れ、また東欧一帯で女性の中絶の権利を撃退し、とりわけ移民やロマ(ジプシー)に対して向けられたファシストテロという極めて残忍な災禍を引き起こしている。昨年のバルカン諸国戦争は、ヒトラーのナチス以上にひどくセルビアを荒廃させた。この戦争の結果バルカン諸国にもたらされた経済的、社会的、生態学的な惨禍もまた、プラハに向けた公式声明では言及に値しないのである。なぜか? 今年の「反グローバリゼーション」抗議を組織しているうわべだけの左翼は、主に、コソボのアルバニア系住民への「人道的」配慮の名の下に、セルビアに対する帝国主義戦争を支持した正に同じ連中だからである。彼らはまた、ソ連と東欧の歪曲された労働者諸国家を破壊する闘いで自国の資本主義支配者に加わり、現在資本主義ヨーロッパを統治しているエセ「社会主義」や元「共産主義」や「労働党」の指導者たちによるひどい陰謀の選挙を支持した同じ「左翼」である。

 われわれ国際共産主義者同盟(ICL)の同志は、レーニンとトロツキーのボルシェヴィキによる真の共産主義に向けて闘うことを誇りとする。われわれの展望は、プロレタリアにあり、革命的で、国際主義である。われわれは、社会における根本的な対立が資本に対する労働者の闘争であると認識する。プロレタリア階級は、生産において中心的な役割を果たしているがゆえに、資本主義搾取者とその階級搾取の全制度を、また人種的、性的、民族的な抑圧そして帝国主義戦争を打倒する社会的力を備えている。プロレタリア階級は、集産化された財産と合理的で計画化された国際経済とに基づく社会、まずは労働者国家を創り出すための力と階級的利益を持っている。こうした経済は、階級のない共産主義社会と国家の消滅へと導くのである。この目標を達成するには、国際的なレーニン主義トロツキストの平等主義党の建設が必要である。われわれは、国際社会主義革命を導くのにふさわしい党となるために闘っている。

 われわれの闘争に不可欠なのは、プロレタリア階級が資本家階級からすでにもぎ取った獲得物を保持することである。それゆえ、われわれトロツキストは、帝国主義の攻撃と資本主義復活に対して、ソ連と東欧の歪曲された労働者諸国家を無条件に軍事的に防衛するために闘ったのである。われわれは、駆使できるあらゆる手段を使って、1989〜90年に東ドイツ(DDR)で、労働者政治革命を導くために、集産化された所有形態を維持するために、そしてスターリニストの誤った指導者たちを労働者評議会の支配へと置き換えるために闘った。これは、東欧一帯の資本主義復活に対する抵抗に向けた指針となり、また西側でのプロレタリア社会主義革命に向けた指針となりえたであろう。ICLは再度、ソ連の労働者を鼓舞し、1917年のロシア革命の獲得物を保持し拡大するために闘った。このロシア革命の獲得物は、何十年ものスターリニストの誤った支配によってはなはだしく裏切られたが、1991〜92年まで打倒されてはいなかった。今日、中国の歪曲された労働者国家の運命、また中国やアジア一帯そして世界中の何十億もの労働者たちの生命は、どうなるかわからない状態にある。われわれは、再度始まった帝国主義の軍事的策謀と経済的侵入に対して、中国の労働者国家を無条件に軍事的に防衛するために闘う。1949年の中国革命の獲得物は、中国スターリニストの市場経済「改革」によって脅かされているが、しかしこうした攻撃はまた、プロレタリア階級による意義深い反抗をも引き起こしている。労働者政治革命を通じてプロレタリア階級を勝利へと導き、1949年の中国革命の獲得物を保持し拡大するためには、トロツキスト党が必要である。

 資本主義反革命の破壊的で世界的な諸結果はまた、「国家資本主義」という反マルクス主義理論をも破壊した。この理論は、故トニー・クリフの国際社会主義テンデンシー、革命的共産主義インターナショナルのための同盟(LRCI、別名、労働者の権力)の常軌を逸し絶えず立場を変える「理論家」、そして他のマルクス主義からの背教者たちによって信奉されたものである。(「『新階級』理論の破産」、『スパルタシスト』23号、2001年5月を参照)。クリフグループによれば、旧ソ連での反革命の勝利は、ある形態の資本主義から別の形態の資本主義への単なる「わき道」にすぎなかった。彼らの猛烈な冷戦反ソ主義は、当時次のように表現された。「共産主義は崩壊した…それはすべての社会主義者にとって喜ばしい事実である」(『ソーシャリスト・ワーカー』、1991年8月31日)。

 今日、プロレタリア階級は、世界中で押し返されてしまった。そして、ソビエトの軍事力に邪魔されなくなった米帝国主義者たちは、今や地球上でいばり散らし、時々国連を隠れみのに使いつつ、「人道主義」の装いで世界的な軍事介入を包み込んでいる。競合する帝国主義、とりわけドイツと日本は、もはや冷戦の反ソ協調に束縛されず、世界市場の支配に向けた自身の欲求をすばやく追求するとともに、その軍事力を着々と整えつつある。これら相対立する国家利益は、昨年のシアトルにおける世界貿易機関(WTO)協議の決裂へと導いた。こうした帝国主義間対立は将来の戦争の輪郭を示している。つまりこれは、核兵器の使用によって、地球上の生命を絶滅させる恐れがあるということである。

 従って、資本主義搾取者から権力を奪取するという任務は、現在かつてないほどに緊急を要している。革命理論なくして革命運動はあり得ない。今日、真のマルクス主義の基本的諸前提は、スターリン主義の崩壊を共産主義の破産と誤って同一視する広く行き渡った認識に対して動機づけられねばならない。スターリニスト支配は共産主義ではなく、そのグロテスクなねじ曲げであった。スターリニスト官僚は、労働組合の頂点に居座る労働官僚と同様、労働者国家の頂点に居座る寄生的カーストである。彼らは、ソビエト労働者国家において、経済的な後進性そしていかなる先進資本主義諸国へも革命を拡大できなかったことによる孤立化という諸条件の下で現われた。スターリニストは「一国で社会主義」を打ち立てると主張したが、レオン・トロツキー(そして彼以前にマルクスとエンゲルス)が説明したように、それは不可能なことである。なぜなら社会主義は広がりにおいて必然的に国際的だからである。「一国社会主義」とは、世界の帝国主義をなだめるために、国際的に革命を裏切るのを正当化するものであった。トロツキーが『裏切られた革命』(1936年)で見事に説明しているように、こうしたソビエト社会の諸矛盾は永久に持続することなどできなかった。「官僚が労働者の国家を食い潰すだろうか、それとも労働者階級が官僚を片づけるだろう か?」。この矛盾は否定的に残酷なかたちで解決されたのである。

マルクス主義対無政府主義そして「グローバリゼーション」

 「無政府主義者」と名乗る人々は、労働者階級を嫌悪し共産主義者を攻撃する右翼プチブルの殺し屋から、プロレタリア階級と連帯し資本家階級の打倒を真に求める主観的な革命家に至る全てを含む。後者の場合、無政府主義のアピールは、資本主義秩序を支え維持する社会民主主義者や元スターリン主義者そしてエセ左翼による議会改良主義を健全にも拒絶するものである。実際、レーニン自身、マルクス主義の改良主義的偽造者たちに反対したため、無政府主義者だと非難された。1917年4月、このボルシェヴィキ指導者がロシアに到着し、資本主義の臨時政府を打倒する労働者革命を訴えた時、メンシェヴィキは、レーニンに「バクーニンの王座に向けた…候補者!」と非難を浴びせたのである(スカノフ『ロシア革命、1917年:私的記録』、1984年)。(バクーニンは第一インターナショナルの無政府主義指導者だった。)レーニンは『国家と革命』で次のように述べた。「今日の社会民主党の日和見主義者は、議会主義的民主国家のブルジョア的政治形態をふみこえてはならない限界と見なし、この『手本』を礼拝するあまり自分の額をぶちわり、これらの形態を打ち砕こうとするあらゆる志向を、無政府主義だと宣言した。」

 無政府主義的信念の復活が多少なりとも存在するのは驚くに当たらない。それは、「共産主義が死んだ」という完全なブルジョアジーの堅い信念によって産み出されたのである。ロシア革命は、国際的に再度左翼の意味をはっきりさせた。そしてロシア革命の最終的消滅は、逆の意味で同様のインパクトを及ぼしている。新たな労働者国家が実際に解放の指針となった時、ロシア革命に刺激された国際的な革命的動乱の只中で、無政府主義やサンディカリストの闘士たちの最良の部分(例えばジェームズ・P・キャノン、ヴィクトル・セルジュ、アルフレッド・ロスメル)は、レーニンとトロツキーの共産主義のための献身的で規律ある戦士となった。無政府主義のセルジュは、マルクス主義と後に決別する以前、労働者を第一次世界大戦という帝国主義大虐殺へと導いた社会民主主義者たちをののしり、新たな労働者国家を支持するためソビエトロシアへと赴いた。彼は反革命の報復主義者(ある無政府主義者たちは犯罪的にもこれを支持した)に対する闘争の過程で、ボルシェヴィキ党に加わった。そしてフランス人の無政府主義の友人宛てに手紙を書き(『ラ・ヴィー・ウーヴリエール』、1922年3月21日)、無政府主義に反対して共産主義の動機付けをした。
「革命の時代における共産党とは何か? それは、革命的中枢であり、強力に組織され規律化され、首尾一貫した方針に従い、科学的な原理に跡付られた道筋にそって明確に規定された一つの目標へ向かって進む。こうした勢力であるとき、党は必然性の産物であり、それは歴史自身の法則である。暴力の時代にあって、組織化も規律化もされず、首尾一貫した方針もなく、気まぐれで矛盾した衝動に駆られやすいままの革命的中枢は、自殺へと突き進んでいる。この結論に反するいかなる見解もあり得ない」(『セルジュ-トロツキー文書』、コッタリル編、1994年に収録)。

 今日、若者のあいだで「無政府主義」の拡散した人気は、それ自身、ソ連と東欧での資本主義反革命という大敗北で始まった新たな政治的時代において、政治意識の後退を反映している。つまるところ無政府主義は、急進的な民主主義的理想主義の一形態である。それは、最も貪欲な帝国主義者のいわゆる生得的な善というものにさえ、人類に奉仕せよと訴えかける。義人同盟(カール・マルクスが1847年に加わった時に、その名称を共産主義者同盟に変えた)は、その主要なスローガンとして、「人類はみな兄弟である」を持っていた。マルクスは、なかには自分の仲間でなく、そうなりたくない者もいると述べ、彼の同志に、スローガンを「万国の労働者、団結せよ!」に変えることを納得させた。

 歴史的には、無政府主義は、被抑圧者の解放にとって階級協調主義の障害物であることを証明している。反革命の白軍と結合し、ある無政府主義者たちは、ロシア革命に対するクロンシュタット蜂起を歓迎した。そしてクロンシュタットは、今日でも、無政府主義者にとって反共主義の試金石であり続けている。スペイン内戦の間、無政府主義者は人民戦線政府の閣僚になった。この政府は、資本主義に対する武装した労働者の闘争を武装解除し弾圧した。そして何十年にも及ぶフランコ独裁体制への道を開いたのである。

 今日、革命的マルクス主義と無政府主義のリベラルな理想主義との間の根本的違いは、「グローバリゼーション」抗議においても見ることができる。巨大資本主義企業が今日では民族国家の制度を超えてしまい、現在国際通貨基金(IMF)やWTOのような諸機関を通じて世界を支配しているという考えは、まったくの誤りである。「グローバリゼーション」は、ドイツの社会民主主義者カール・カウツキーによって持ち出された「超帝国主義」という概念の現代版である。彼は、異なる国々の資本家たちが、彼らの利益をめぐる対立を平和的な(民主的すらの)手段を通じて解決することができると主張した。われわれは、『帝国主義、「グローバル経済」そして労働改良主義』(1999年9月)というパンフレットで次のように指摘した。「いわゆる多国籍企業は、民族国家の制度を超えてあるいは独立して操業しない。そうではなく、多国籍企業は、国外でその投資を人民の反対や競合する資本主義諸国家から守るために、自身のブルジョア民族国家に絶対的に依存している。それ故、帝国主義諸国家は、強力な軍事力と相当する国内産業基盤を維持しなければならないのである。」

 プラハ動員を支持している多くの組織は、「グローバル・サウス」(アジア、アフリカ、ラテンアメリカ)の人々の諸状況を改善するために、IMFや世界銀行の「民主的統制」を呼びかけている。ドイツの民主社会主義党(PDS)は、IMFと世界銀行の活動が、さらに透明性を増したものにならなければならず、真に国際的な国連のためにならなければならないと主張している。われわれは、労働者そして直接に帝国主義の君主や抑圧者の「人権帝国主義」によって抑圧された人々を代表して、行動のためのこうしたアピールを呼びかけてきた。帝国主義にとにかく責任感を持ち人道的に振る舞うようこうして訴えることは、単に馬鹿げているだけでなく反動的でもある。なぜなら、こうした訴えは、「民主主義」の装飾をまとったブルジョア独裁が、とにかく、労働者と被抑圧者のための社会変化にむけた代理人となることができるというひどい幻想を育むからである。こうした嘘は、搾取される者をその搾取者に縛り付け、社会闘争にとって先のない道を画策する。

 「グローバル」な国連ならば人類のために行動できるだろうという考えは、資本主義的帝国主義の根本的な経済メカニズムを隠蔽する虚である。帝国主義は「悪しき考え」に基づく政策ではなく、私有財産制と利潤の抽出と新市場を獲得する資本主義の必要性に基づく制度を営むうえで不可欠なものである。レーニンは、国連の前身である国際連盟に関して次のように説明した。「国際連盟は存在していないし、資本主義諸国の連盟というのは、からっぽな欺瞞であり、実際にはこれは、そのおのおのが、おたがいになにかをふんだくろうとつとめている強盗連盟であることがわかった。…私的所有は略奪であり、私的所有に基礎をおく国家は、獲物の分配のためにたたかう略奪者の国家である。」(モスクワの県の郡・郷・村・執行委員会議長会議での演説、1920年10月15日)。

 国連による最初の介入(1950〜53年)は、北朝鮮と中国の歪曲された労働者国家にたいする「警察行動」であり、それは約400万の朝鮮人を虐殺した。10年後には、元ベルギー領コンゴでの残虐な軍事介入は、国連の後援の下で行われ、左翼民族主義者パトリス・ルムンバの殺害を含んだ。

 無政府主義の色合いの中で最も左に位置するのは、無政府主義の「情報ウェブサイト」にのったある記事である。この記事は、階級敵に道徳的に振る舞うよう請願したり、「第三世界の債務を帳消しする」よう請願したりすることに鋭く反対している点で、プラハ・デモの担い手たちのなかで目立っている。彼らはIMFと世界銀行を粉砕せよと呼びかけ、次のように提案する。「直接的な要求は、なだめすかす連中やその仲間にたいしてでなく、IMFと世界銀行をお払い箱にするため、また120兆円もの債務を帳消しにするために、労働者諸団体やその改良主義的指導部にたいしてなされる。直ちに!」しかし世界は、1回の大規模なデモでまたは1回の大ストライキで掲げられたスローガンを通じて変わるものではない。そして彼らが呼びかける改良主義的指導部は、資本主義的帝国主義を支持しているのである。これではどうやって資本主義から社会主義に到達するのか? これは無政府主義が答えるすべを持たない問題である。

 マルクス主義理論と1917年10月のロシア革命で労働者階級を国家権力へと導いたレーニンのボルシェヴィキというモデルが、唯一の革命的な解決である。労働者は、資本主義国家の機構を掌握することができないし、被抑圧者のためにこの機構を「改良する」ことができない。労働者は権力のために闘い、資本主義国家を粉砕し、そして労働者国家すなわちプロレタリア独裁を創り出さなければならない。この労働者国家はかつての資本主義支配者たちによる反革命的抵抗を鎮圧する。レーニンのボルシェヴィキは、権力を掌握し支払いを拒絶することによって、ロシア皇帝とロシアのブルジョア階級が蓄積した債務を帳消しにした。これは、帝国主義の宥和政策に反対するボルシェヴィキの革命的な国際主義的展望の一部であった。ボルシェヴィキはロシアの十月革命を世界社会主義革命へと拡大するために闘った。彼らは社会主義が一国で建設することができないことを理解していた。

 われわれは、 プルードンのような伝統的な無政府主義者によって説教され、今日では、プチブルの「緑の党」によって繰り返される理想主義の反動的側面に反対する。それは、労働者は富を望むべきでなく質素な社会生活を送るべきであるという考えである。われわれマルクス主義者は、欠乏の一掃に向けて、また労働者が今日資本家に収奪されている彼らの労働の成果を享受する社会に向けて闘う。労働者に「生活を切りつめよ」と語ることは、実は「第三世界」の大衆に課された飢餓による「緊縮」政策を通じたIMFと世界銀行のプログラムにほかならない。現在ドイツとフランスで統治する連立政権内の緑の党は、「環境を守る」という名目の下、資本主義の「緊縮政策」を実行することにおいて、社会民主主義者よりもはるかに積極的である。法外な燃料価格に対する最近の大衆抗議に直面するなかで、フランスの緑の党は、燃料税を15パーセント削減するという社会党の首相による譲歩に反対した。

 科学技術の発展を抑制し消費水準を押し下げようとする無政府主義者や環境保護主義者の衝動とは反対に、われわれマルクス主義者は、世界産業労働者組合(IWW、別名「ウォッブリーズ」)の指導者ビッグ・ビル・ヘイウッドと同じ側に立つ。ヘイウッドが上等な葉巻を吸っていると同志から非難された時、彼は「プロレタリア階級にとって上等すぎるものなどない!」と応えた。マルクス主義者は、人類進歩の歴史は自然の力を支配するための闘いであったと認識する。農業と動物の家畜化の発展は、地球の「自然生態環境」にうまく食い込んだ。これは社会的剰余を創り出し、初期の人間社会における日々の生存に向けた手短で残虐な闘いから抜け出す道を開いた。「第三世界」で貧困にあえぐ大衆へ、西洋のプチブル左翼が当り前と思っているあらゆるもの、すなわち電気、学校、蛇口から出るきれいな飲み水、医薬品、公共輸送機関、コンピュータを普及させるには、産業や技術上の能力において巨大な飛躍を必要とする。その飛躍には、意識した革命的前衛によって導かれる勝利した国際革命が必要である。この革命的前衛の目的は、労働者階級にその使命を意識させることであり、改良主義やエセ革命的な資本主義の追随者の統制から分裂させることである。

 ブルジョア民族主義の「緑の党」による支配階級への忠実な奉仕こそ、正に、自らを地球上における最大の生態環境惨禍を無視するように仕向けるのである。従って第四帝国の「緑の党」の外相であ るヨシュカ・フィッシャーは、セルビア空爆を大声で支援したのである。バルカン諸国は、現在、劣化ウラン弾で穴だらけにされている。つまり毒された水と現代的な産業上、社会上の構造基盤の破壊は、バルカン諸国戦争の本当の死亡者数が今後何年も記録されることを意味する。「緑の党」がこのようなので、誰がストレンジラヴ博士やイー・ゲー・ファルベンやダウ・ケミ カル社を必要とするだろうか。

 同様にイラクに対する1991年の湾岸戦争は、この地域における最も進んだ社会の一つを破壊した。イラクの幼児死亡率は、10年前には、世界で最低の水準にあったが、 今日では最高水準にまで上がっている。そして、人口の圧倒的多数が読み書きができ医療ケアを享受していたイラク住民は、引き続く国連の経済封鎖によって文字どうり餓死寸前である。イラクに対する破壊的な空爆に反対したいわゆる 「左翼」は、国連の制裁措置を「人道主義的」な代替案として対置した。国際共産主義者同盟(ICL)は、制裁措置に対し、爆撃以上に人を殺してきた戦争行為だと反対した。「人権帝国主義」の血塗られた犯罪にたいするエセ左翼の支持は、シアトルやワシントンD.C.やプラハの「反グローバリゼーション」抗議に向けたいかなる公式宣伝にも、こうした問題に関して全く触れられていない理由に他ならない。フランスの革命的共産主義者同盟 (LCR)は、全欧安保協力機構(OSCE)か国連の指揮下でコソボへの帝国主義軍事介入を公然と呼びかけた(『ルージュ』、1999年4月1日号)。革命的共産主義インターナショナルのための同盟(LRCI、労働者の権力)は、コソボ解放軍(KLA)というNATO帝国主義の手先によってセルビア軍の敗北を求めて公然と運動を繰り広げた。彼らは、NATO空爆の熱烈な賛同者たちとロンドンで演壇に登り、セルビア軍の撤退に喝采を送りながら、コソボでのNATO軍による勝利ののち、「革命前的状況は 熟しつつある」と間抜けにも公言した(「セルビアでのミロシェヴィッ チを打倒するための闘い」、1999年8月11日のLRCI声明)。

 それに対して、ICLは、セルビアの排外主義者ミロシェヴィッチへのいかなる政治的支持をも与えることなく、アメリカ/国連/NATO帝国主義からセルビアを軍事的に防衛するため世界中で闘った。それは、われわれが、湾岸戦争の初期に、帝国主義の敗北に向けてプロレタリアートを動員するために闘い、イラクの防衛をはっきりと擁護したのと全く同様である(『スパルタシスト』に収められたバルカン諸国戦争に関する1999年4月のICL宣言を参照)。革命的な国際主義者は、「自国」のブルジョアジーの敗北のために闘い、そして帝国主義戦争の犠牲者を防衛するために闘う。うわべだけの左翼による社会排外主義の熱狂は、バルカン諸国戦争を遂行するヨーロッパ各国政府への彼らによる支持を直接反映している。2年前、イギリスの社会主義労働者党(SWP)は、ヨーロッパで最も傲慢な NATO強硬論者であったトニー・ブレアの選挙のために運動し、その当選に「大いに喜んでいる」と表明した。SWPは、バルカン諸国戦争において、「哀れで小さなコソ ボ」と叫ぶ臆病な連中に対し左の姿勢を取る一方、「新」労働党のトニー ・ベンに惜しみない支援を行うことで自分たちの策略をもらした。そのベンによるバルカン諸国戦争反対は、「小英国」排外主義の反米主義に没頭していたのである。この戦争が、米帝国主義者よりむしろヨーロッパの帝国主義者どもによっ て直接に進められるべきであると主張することは、反戦運動などではない!

 こうした民族主義の色合いの中で最も右に位置するのがファシストである。昨年、ドイツのナチたちは、「外国の利益のためにドイツ人の血を流してはならない!」 といったスローガンを掲げ、バルカン諸国戦争に反対するデモを行った。ヨーロッパの反「グローバリゼーション」運動が深く染まった民族主義的反米主義は、あからさまなファシズムを覆い隠すものである。チェコのファシスト諸組織は、9月23日に、プラハで彼らの大虐殺プログラムに従って挑発行為を行おうと計画している。

 ここ半世紀におけるヨーロッパで勃発した最初の大規模な戦争という厳しい試練の中で、エセ「トロツキスト」たちは、「共産主義の死」による腐敗した産物であることを証明した。今日、彼らは、「反グローバ リゼーション運動」の指導権をもぎ取ろうと巧みに立ち回っている。ばか者でない限り、現在のヨーロッパ各国資本主義政府を権力へともたらすのを助けたグループが、被抑圧者ためにこうした諸政府やその銀行や諸機関と闘うことができるなどと信用する者はいまい。こうしたエセトロツキストは、無政府主義に代わるマルクス主義の選択肢ではけっしてなく、ICLの綱領と実践とに具現化された革命的マルクス主義に対する実際上の敵対者である。

日和見主義と民族排外主義の物質的基盤

 民族主義、愛国主義、人種差別主義、宗教といったブルジョアイデオロギーは、中心的には「資本家階級の労働副官」という代理人を通じて、労働者階級へと浸透する。この代理人は、労働者階級 のなかの特権的上層部に基づく寄生的労働組合官僚たちである。こうした改良主義者たちが、革命的指導部へととって代わらなければ、労働者階級は、資本主義の攻撃に対してほとんど無防備に晒され、また労働組合を資本主義国家へと益々結び付けることによって、プロレタリアートの諸組織は破壊されるか無力化させられる。レーニンは、1916年の著作『資本主義の最高の段階としての帝国主義』の中で次のように述べている。
 「多くの産業部門のうちの一つ、多くの国のうちの一国、等々で資本家たちが独占的高利潤を獲得することは、彼らに、労働者の個々の層を―一時的に、しかもかなり少数の者にすぎないが―買収し、彼らを残りのすべての労働者に対抗して、その部門あるいはその国のブルジョアジーの側に引きつける経済的可能性をあたえる。そして世界の分割のための帝国主義諸国民の敵対の激化は、この志向を強める。こうして帝国主義と日和見主義との結びつきがつくりだされる…この点で最も危険なのは、帝国主義との闘争は、もし日和見主義にたいする闘争と不可分に結合されないなら、空虚で偽りの言辞にすぎないことを、理解しようとのぞまない人々である。」

 反「グローバリゼーション」運動の組織者による民族排外主義と臆病な屈服は、全く明らかである。それ故、世界貿易機関(WTO)に対するシアトル抗議の労働組合の組織者は、中国とヴェトナムの歪曲された労働者国家における「奴隷労働」を非難する極右反共勢力と一体になったのである。中国の鉄鋼が港湾に投げ捨てられ、「人民が第一、中国が第一ではない」というスローガンが掲げられた。 トロツキーは、アメリカの労働官僚をラテンアメリカにたいする帝国主義支配のためのウォール街の理想的道具であると説明したが、アメリカの労働組合上層部は、この説明を実証するように、メキシコ人トラック運転手が米国内で労働するのを禁止する運動を繰り広げたのである。アメリカ労働総同盟産業別労働組合会議(AFL-CIO )が、ラテンアメリカ中で「AFL-CIA」として広く知れ渡っているのは十分うなずけるというものである。信じがたいが、イタリアの共産主義再建(RC)とエセトロツキストの『プロポスタ』グループは、AFL-CIAの「指導部」をヨーロッパの労働者が見習うべき手本として擁護している!(『プロポスタ』27号、2000年1 月を参照)

 プラハのデモに先立って、イギリスのSWPは、ローヴァー自動車工場でのイギリス人の雇用を防衛するなか、労働党支持の労働組合デモを推進するため精一杯働いた。このデモは、ユニオンジャックで溢れかえり、イギリス人労働者をドイツ人と対立させ、イギリスの支配階級に縛り付ける悪意に満ちた反ドイツ排外主義に染まっていた。「イギリスは二度の世界大戦に勝利した。三度目も勝利しよう!」といったスローガンは、 有毒な性格を与える。ローヴァーのデモの後、SWPは、ケン・リヴィングストンをロンドン市長に選出するための運動に奔走した。リヴィングストンは、労働党政治家であり、セルビアに対する帝国主義のテロと国内における抑制のない警察とを声高に叫んだ提案者である。ロンドンのメーデー抗議デモで、無政府主義者たちが、イギリス帝国主義の象徴を不敬にも傷つけた時、SWPは、彼らのロンドン市長候補者である「共産主義者」ケン・リヴィングストンに迷惑が及ぶのを恐れて、(形式的に参加した以外は)デモに加わらなかった。リヴィングストンは、警察 がメーデー抗議者たちを弾圧することを支持した。弾圧された人々の何人かは、いまだに獄中で苦しむかあるいは起訴に直面している。

 フランスでは、ジョゼ・ボヴェが大衆の先頭に立って、マクドナルドやアメリカのファーストフードがフランス人の味覚に浸透しているのに対し抗議している。われわれの関心は、どの国の所有権かあるいはどの国の「料理」ではなく、こうしたファーストフード・チェーンでひどい低賃金で働く労働者を組織することである。さらに、もし文化 や料理に関する嗜好が「帝国主義」と同義であるというならば、ボヴェの間抜けな見解からすると、イタリア人のほうがずっと心配の種である。なぜなら人々はピザが大好きであり、今やそれはアリューシャン列島からアマゾンに至る世界各地で売買されているからである。あるいは、特にドイツ人が考案した装置、つまり印刷機が世界中を征服し、大衆の識字能力の普及を可能としたが、このことは「帝国主義」だったか?!

 さらに深刻なのは、労働者階級上層部やエセ左翼の民族排外主義と日和見主義が 、階級意識に害毒を与え、また宗教的、民族的、人種的分裂を助長することによって労働者同士の連帯に有害な影響を与えている。近年、このことは、反移民の狂乱の中で、熱狂の極みへと達している。そしてそれは、資本家とその国家による攻撃に抵抗する階級としてのプロレタリアートの団結と誠実さを脅かしている。ICLの原則の宣言は、次のように述べた(『スパルタシスト・パンフレット』英語版、8 号、2000年9月)。
 「世界の隅々にまで及んでいる現代の資本主義、すなわち帝国主義は、階級闘争の課程でまた経済的必要性のなかで、その最低辺に新たなより安い労働源をプロレタリアートへともたらしている。それは主として世界のより貧困で末発達な地域からやっくる移民であり、経済の縮小のたびに使い捨てと見なされるほとんど権利を持たない労働者である。従って資本主義は、絶えず労働者の間に違った層を創りだすが、その一方で同時に多くの異なる国々の労働者を混在させる。」

 ヨーロッパ列強諸国は、シェンゲン協定において、移民に対して国境を閉ざした。そしてその移民の多くは東欧の反革命による破壊を逃れてきたのである。今日支配する社会民主主義者による人種差別主義の反移民政策は、ナチスの「ボートは満員である」というデマの繰り返しであり、実際にファシストのテロを煽りたてている。その一方で、ヨーロッパ中の社会民主主義の人民戦線政府(改良主義の労働者諸党やブルジョア政党を伴う連合政府)は、危険なことに、社会民主主義者がファシストを「禁止」するという議会の幻想で労働者をなだめている。しかし社会民主主義者自身の政策が、ファシストのために道を掃き清めているのである。歴史的に見ると、こうした禁止は、ブルジョアジーの支配が脅かされる時、ファシズムに頼る真のブルジョアジーのイメージを一新することにのみ尽くしている。過去には、「過激派」に対するこうした 禁止は、右翼ではなく左翼に対して利用されてきた。第二次大戦後の1952年、ドイツで、ちっぽけなネオナチ政党が禁止された。しかしそれは、第三帝国の継承者の「民主主義的」資格を表面的に見ばえよくするためであった。そしてこの継承者たちは、米帝国主義の援助の下で、資本主義ドイツを再建していたのである。その真の目的は、1956年にドイツ 共産党を憲法で禁止するのを「正当化」するためであった。われわれは次のように要求する。全ての移民者に完全な市民権利を! ブルジョア国家に頼るな! ファシストを阻止する為、労働者とマイノリティの動員を!

党は社会主義革命の道具である

 レーニン主義党は、プロレタリアートに革命的意識をもたらすための道具であ る。それは、プロレタリアの闘争を組織し、社会主義革命においてその闘争を勝利に向けて強化し導くための道具である。革命的な党は、いかなる社会的不正事件とも闘い、そしてあらゆる抑圧の現われとも闘わなければならない。われわれの任務の中心にあるのは、あらゆる女性の抑圧事件と闘い、宗教的な反啓蒙主義と共に息を吹き返した「あらゆる旧いガラクタ」と闘い、中絶の権利への攻撃や反ゲイの偏狭と闘うことである。若者たちの大胆さをプ ロレタリアートの社会的力へと結び付けることは、新たな社会主義社会に向けた闘争にとってきわめて重要である。

 われわれの目的は、カードルが階級闘争において試され訓練されねばならない革命的指導部である。レーニンとトロツキーの綱領に忠実な現在の小さな勢力にとって、前進への道は、プロレタリア革命を成功へと導くため、経験と革命的意志と大衆の間における権威をもった党を鍛え打ち固めることである。 正に再度鍛え打ち固められたトロツキストの第四インターナショナルこそ、労働者と被抑圧者を世界社会主義の勝利へと導く任務に十分足りうるのである。われわれは、これが容易な道であるなどという幻想は抱いていない。そして理性を失い大虐殺を実行する支配階級の核による全滅技術の所有が、こうした可能性を短縮しているのを認識している。つまり多くの時間はないのである。

 われわれは真の共産主義の綱領と実践を指針としている。トロツキーは『資本主義の死の苦悶と第四インターナショナルの任務』の中で次のように述べた。  「現実を正視し、最小抵抗線をさがし求めず、事物をその正しい名前で呼び、いかにつらかろうとも大衆に真実を語り、障害をおそれず、大事にも小事にもともに真剣であり、自己の綱領を階級闘争の論理のうえにきずき、行動の時いたらば大胆であること、―以上が第四インターナショナルの掟である。」

 国際共産主義者同盟に参加せよ!