(2002年4月の『スパルタシスト』#25)


9月11日と「ソビエト後」の世界

かけはしと革マル:
改良主義の同じ土俵で
議論する




 9月11日の世界貿易センタービルへの攻撃は、ニューヨークの景観を変化させただけでなく、世界の政治的な景観をも一変させた。どの帝国主義諸国も、この攻撃を自国の軍事支出と「軍備」を増大させるための口実として利用している。そして世界じゅうに戦艦や兵隊を動員している。国内的には、各国の「反テロ」法が、労働者階級、左翼、マイノリティ、そして移民に対する国家の抑圧を強化するために使われている。

 9月11日の攻撃は、革マルが公言するように「米国の世界支配の軍事、金融の中枢を破壊」(『解放』ウェブサイト2001年11月11日)するどころか、政治的、経済的、軍事的な手段によってその世界支配を確立しようとするアメリカの軍事的野獣を解き放った。米帝国主義は世界の労働者、勤労者へ最も大きな脅威を与えているが、しかし日本やドイツ、そして他の帝国主義諸国のブルジョアジーもまた、自身の勢力圏と搾取領域を切り開くなかで、自国の軍事力を高めるよう動いている。米国が、イラク、イラン、そして北朝鮮の歪曲された労働者国家を当面標的とする核兵器の可能な先制攻撃に向けた「非常時対策」を持っていることが明るみに出る前でさえ、9月11日直後における帝国主義列強間の「同盟」は解体し始めていた。レーニンは1916年に『資本主義の最高段階としての帝国主義』のなかで次のように述べている。「『国際帝国主義的』あるいは『超帝国主義的』同盟は―それらの同盟がどういう形態でむすばれていようとも、すなわち、ある帝国主義的連合にたいする他の帝国主義的連合という形態であろうと、すべての帝国主義列強の全般的同盟という形態であろうと―、不可避的に、戦争と戦争とのあいだの『息ぬき』にすぎない。」

 日本の左翼は、日本を米帝国主義の言いなりであるように描き出している。そして彼らが日米安全保障条約に主要に反対するのは、「平和的な」日本が「米国の戦争に引きずり込まれる」ことにある。こうした立場は、客観的には、労働者大衆への日本帝国主義によるイデオロギー的支配を強化するとともに、日本ブルジョアジーの公然たる報復主義的翼の手の中でその役割を演ずるものである。ブッシュの「テロに対する戦争」を支持する一方で、日本の支配階級は、世界の最高警察としてのアメリカ帝国主義の役割が、将来太平洋地域におけるアメリカの主要なライバルである彼らに対しても向けられうることを十分承知している。世界が不安定さを増すなか、日本の支配階級は、アジア一帯に広がったその経済的利益の安全を確保するため最善を尽くすだろう。小泉首相は自由貿易の合意を整えるため最近東アジアと東南アジアを歴訪したが、それはヨーロッパにおける統一通貨の確立と北米自由貿易圏を拡大しようする企図に対応するものだった。この歴訪はまた、日本帝国主義が経済的、軍事的脅威と見なす中国の歪曲された労働者国家に対しても向けられていた。そしてこの間、日本のブルジョアジーはクリル諸島を再度占領するという報復主義的夢を実現しようとしている。

 堕落したソヴィエト労働者国家が存在していたとき、帝国主義列強間の利害衝突は、1917年の十月革命の歴史的獲得物を打ち砕くという共通の関心によってある程度まで緩和されていた。今日、ソ連の反革命による破壊の結果、抑制のない国際競争と経済戦争が解き放たれた。ソ連邦の崩壊以来、安保条約は益々日本のブルジョアジーの必要性に合わなくなっている。改訂された新軍事ガイドライン、つまり民間施設を軍用に供し、政府が「自衛」のために必要と見なす地域を拡大しようとする試みは、労働者階級を統制し、人々に海外での軍事行動に慣れさせようとするものである。昨年12月の中国領海での海上保安庁巡視船による不審船の撃沈は、日本帝国主義が戦闘態勢にある海軍と陸軍を整えていることを中国と北朝鮮に示すメッセージだった。この6年間、日本の軍隊は、日本がその石油のほとんどを輸入している国々に近接したゴラン高原に駐留し続けている。この軍隊は最近では、2回目の小艦隊をアラビア海に展開した。さらに恐らくは「民主主義」と「人権」の名の下に、第二次世界大戦以来最大規模となる海外派遣部隊を東ティモールに送り込んだ。日本軍は1920年代半ばから45年まで全アジアを残虐に植民地化しようと企てたが、それは正に「ヨーロッパの植民地化からわれらのアジア同胞を解放する」というスローガンの下で行われたのである。われわれは要求する。直ちに東ティモールの独立を!日本と国連の軍隊は東ティモールとゴラン高原から出て行け!帝国主義の日本軍に一人も一円も出すな!

異なる大言壮語、同様の非レーニン主義の綱領

 変動する世界情勢に促されて、1957年の日本革命的共産主義者同盟(JRCL)を継承すると主張する諸組織は、誰が日本における「大衆運動」の欠如に最も責任があるかをめぐって議論を戦わせることになった。JRCLかけはしは、JRCL革マルによる労働者運動内での殺人行為や聖戦への支持が、人々を怯えさせ去らせたのだと主張する(『かけはし』2月4日)。革マルは、かけはしによる「反グローバリゼーション」運動への追随こそ、彼らが単にリベラルの一味に過ぎないことの証拠だと応酬している(『解放』2月11日)。

 アフガニスタンに向けた帝国主義による戦争に対する抗議の背後にある政治は、十分な圧力を加えれば日本のブルジョア政府にそれ自身の階級の利益に反して行動するよう説得することができるという考えに基づいていた。かけはしと革マルの戦術は異なっているかもしれないが、戦略的に両者の綱領は似かよっている。彼らの抗議は政府が「何かをする」ように向けられたのであり、プロレタリアートがその潜在的な力を行使するようなされたものではない。両者とも労働者階級が実際に革命を実行できる能力があるなどと確信していない。そして、労働者階級を政治権力の奪取へと導き、ブルジョアジーを収奪し、プロレタリアートの独裁を確立するために必要なレーニン主義トロツキスト党に敵対しているのである。

 「Give Peace A Chance(平和にチャンスを与えよ)」というかけはしの主要なデモのスローガンは、彼らが、自国の支配階級に対する階級闘争を呼びかけた革命家V・I・レーニンよりも、元ビートルズのジョン・レノンのように思われる。かけはしは、戦争の間、社会民主党の鞄持ちとして活動し、実行委員会に参加し、「戦争は解決策ではない」と書かれたプラカードを配布した。日本では社会民主党は、共産党と同様に、依然としてプロレタリアートにたいして十分な政治的権威を有しており、街頭に多くの人を動員するのは言うまでもなく、戦争反対の政治的ストを実行できただろう。しかし、もちろんそれは彼らが望むところではなかった。共産党の指導者不破と志位が「テロリストを逮捕する」方法に関し世界じゅうの政府に助言するなかで、共産党がブルジョアジーのために負っている責務は、党員を家に留め置くことであり、決して自身の名でデモを呼びかけないことであった。社会民主党の仕事は、戦争への嫌悪や恐れを感じた労働者階級の意識を日本の支配階級から逸らせ、「反米主義」へと導くことであった。

 革マルがいかに大声を張り上げ罵ろうとも、そして隊列を組んでデモ後進しようとも、彼らの目的も同様であった。「人道的な」日本帝国主義に幻想をまき散らすなかで、革マルの主要なスローガンの一つは、「日本の戦争参加を阻止せよ!」であった。それはあたかも日本帝国主義が帝国主義ではないやり方で振る舞うことができるかのようである。革マルが過去において共産党に浴びせた「もっとも辛辣な」批判は、共産党が「『反米、反帝』の主張を失った」というものだった(『解放』ウェブサイト11月26日)。日本の漁業実習船が米国の傲慢な潜水艦艦長によって悲劇的にも沈められた事件の後で、革マルが『解放』2001年2月26日に再掲載した「日本人もリメンバー・パールハーバー!」のスローガンは、戦争状態の軍の背後に日本の労働者階級を結集させるための呼びかけであった。

 かけはしは、革マルが「反スターリン主義、反帝国主義」路線を失い、単に「反米」になったと主張している(10月8日付)。しかしながら、世界貿易センタービル攻撃の直後に出された両グループによる記事の主旨は、区別ができないのである。それは労働者階級による戦争への増大する怒りと恐怖を自国の支配階級から逸らし、米帝国主義に対してその怒りを流し込むことである。9月24日、革マルは世界じゅうの人々に次のように呼びかけた。「アメリカ帝国主義中心のNATO同盟諸国のアフガニスタン軍事攻撃と本格的侵略戦争を阻止する闘いに決起するのでなければならない。」同じような調子で、かけはしは次のように述べている。「全世界で、ブッシュ政権の報復戦争発動に反対する闘いを強化しなければならない。」

 日本の労働者の間には米帝国主義に対する真に十分な根拠をもつ恐怖が存在する。それはペンタゴンの死と破壊の兵器庫が再度自分たちに対し行使されることになるのではないかという恐れである。しかしながら、こうしたグループの「反米主義」は「反帝国主義」ではなく社会排外主義である。アメリカ軍国主義への反対は、国際的なプロレタリアの展望から出発しなければならないのである。もしそうでなければ、アメリカ軍国主義への反対は、必然的に「自国の」資本主義国家による軍事力強化と世界的役割の増大への支持に向けられてしまうだろう。われわれは、経済危機やマイノリティへの排外主義的抑圧や戦争が資本主義社会の不可欠な一部であること、そして階級闘争の外でまたそれとは別に闘うことができないというマルクス主義の理解に労働者、マイノリティ、若者を勝ち取るため、反戦集会に介入してきた。

革マルとかけはし対1979年アフガニスタンにおけるソビエト赤軍

 かけはしは米国の「同時多発テロ攻撃」を非難し、革マルはそれを歓迎する一方で、この両者はともに世界貿易センタービルへの攻撃とペンタゴンへの攻撃とを同一視している。またこの両者はいずれも、強大な帝国主義者による破壊から世界の最貧国の一つアフガニスタンを防衛せよという革命家にとっての基本的な要求を一つとして出さなかった。

 個人あるいは小集団による戦略としてのテロ行為は、たとえ軍事目標に対してであれ、帝国主義支配者に対する階級闘争にプロレタリアートを動員するに対置される。同時にマルクス主義者は、ペンタゴンのような施設への攻撃と世界貿易センタービルの場合のような罪のない市民に対する無差別テロとを区別する。しかし9月11日の攻撃を行った者たちは区別しなかった。 何千人もの罪のない人々を殺した世界貿易センタービルへの攻撃は、労働者階級と被抑圧者の利益のために闘う人々の展望からすれば犯罪行為である。ペンタゴンに関しては、それはアメリカ軍の最高管理指令中枢であり、従って実際の軍事的標的を意味する。しかしながらこうした認識は、ペンタゴンへの攻撃が「反帝国主義の」行為であったということを意味しない。

 革マルは、世界貿易センタービルへの攻撃におぞましい称賛を寄せた。「『ヤンキー国家の障壁』に対する戦闘的な攻撃」、「これは芸術だ!」、「アメリカにお似合いの砂漠ができた」などである。こうした賛辞は、彼らを日本のファシスト的右翼と同陣営に置くものである。革マルは、その異様な残忍さを正当化しようとして、レーニンの『共産主義の左翼小児病』を引用する。「もちろん、われわれが個人的テロルをしりぞけたのは、ただそれが目的にかなっていないからであって、フランス大革命のテロル、あるいは勝利した革命党が、全世界のブルジョアジーに包囲されたばあいに行使するテロル一般を、『原則的』に非難」(『解放』2月11日付)。

 この引用の利用の仕方は、単に不誠実であるばかりか、故意に欺くものである。レーニンは、この個所で、フランス革命の「テロ」と個人的なテロ行為や暗殺との違いについて説明しているのである。1903年に革命党を創設する闘いの中で、レーニンは、ボリシェビキがロシアの社会民主主義運動内の、とりわけ社会革命党内の「プチ・ブル」的傾向と闘わなければならないと説明した。「第一に、マルクス主義を否定したこの党は、どんな政治行動をとるにあたっても階級勢力とその相互関係を厳密に客観的に考慮にいれなければならないということを、どうしても理解しようとしなかった(そうすることができなかったというほうが、おそらく正しいであろう)。第二に、この党は、われわれマルクス主義者が断固としてしりぞけた個人的テロル、暗殺をみとめることが、彼らの特別な『革命性』または『左翼主義』であると考えた。」(強調はわれわれによる) 革マルは、後れた暗黒の封建主義からフランス社会を脱却させたブルジョア革命の防衛と全く反対の行為を追求するキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、神道といった宗教の原理主義との違いを言うことができないのである。

 革マルは、労働者階級に敵対する勢力を飾り立て、そしてその勢力に追随する。彼らは、米国における攻撃の実行者だと主張するオサマ・ビン・ラディンとその支持者たちを、絶望から個別的な暴力を選び、ある種方向を誤った主観的な革命家のように描こうとしている。誰がこの攻撃を行ったかについては依然として証拠がない。しかし、もしそれがビン・ラディンであるとすれば、彼は帝国主義者自身によって生み出されたフランケンシュタインの怪物に他ならないのである。つまり帝国主義者は、1979年以来のアフガニスタンにおけるソ連軍に対する「聖戦」で、ビン・ラディンの奉仕を金で手に入れたのである。ビン・ラディンの目標は、北部同盟やイスラム原理主義者の目標と同様に、アフガニスタンの野蛮状態や奴隷状態を永続させることであり、そしてソビエト兵士を殺すことであった。

 かけはしは革マルに反論することができない。なぜならかけはしは、ソ連赤軍の介入に反対した革マルの立場やCIAに支援されたイスラムの殺し屋たちと同じ立場に立っていたからである。ソビエト赤軍の介入は、1980年代著しく抑圧されたアフガン女性たちが解放され得る唯一の希望をもたらした。アフガニスタンにいるソビエト赤軍に対して、1980年3月にかけはし(当時『世界革命』)の中央委員会は次のような決議を行った、「ソ連軍の撤退を要求し、国際勇軍を組織せよ」(『世界革命』、(1980年4月21日)。かつて反ソ主義からソ連の介入に反対し、今日では自分の立場を消し去ろうと努めている左翼グループとは異なり、われわれは赤軍を歓迎した。そしてヴェールを脱いだ女性の顔に酸を投げつけ、少女に読みを教えた教師を殺害した狂信的イスラム教徒をソ連兵が始末するだろうと深く願っていた(「アフガニスタン:イスラム反動は女性を奴隷化した」、『スパルタシスト』24、2001年9月を参照)。

 どの国の女性に対する抑圧もかけはしにとっては重要でない。1991年、彼らは、「女性問題に関する甚だしい侵害」を理由に、パブロ主義の統一書記局派から除名された。彼ら自身が認めるところによれば、1983年に少なくとも彼らの指導的メンバー4人がレイプの罪で組織から追放された(『世界革命』、1983年9月19日)。日本における女性嫌悪の似非左翼内では、性的暴力を含めた女性メンバーへの虐待がとてもよく起こるため、女性の闘士は一般的にいわゆるこうした「共産主義」組織に加わるのを拒否するのである。今日そのかけはしは、アフガニスタン女性革命同盟(RAWA)を推している。反共のRAWAは、革命的でもなければ、左翼でもなく、女性権利の擁護者でもない。RAWAは、アフガニスタンの国連帝国主義「平和維持」部隊に賛成するよう公然と議員に働きかけ、アフガニスタン前国王の復位を支援しているのである。さらにイスラム原理主義者に味方してソ連の軍事介入と戦ったのである(『Workers Vanguard(労働者の前衛)』3月8日号を参照)。

 軍事的防衛と政治的支持との区別を意識的に混同しつつ、「戦闘的な」大言壮語を使う革マルも、またアフガタンの人々への懸念らしきものをもつかけはしも、帝国主義に対するアフガニスタン防衛といった基本的なことを呼びかけもしない。われわれは帝国主義に反対する立場である。われわれは、タリバーンの反動主義者にいかなる政治的支持も与えることなく、帝国主義の攻撃からアフガニスタンを防衛した。帝国主義のいかなる敗北も自国での階級闘争を促進する。逆もまた同様に真である。つまり、帝国主義の略奪戦争に終止符を打つためには、ここ日本において「愛国戦線」を打ち砕き、世界を支配する資本主義諸国を打倒することが必要なのである。

同じ反ソの胎内から生まれる

 紙上ではかけはしと革マルは、違った綱領を持っているように見えるかもしれない。しかし実際には、両者ともトロツキズムの革命的綱領と何ら共通するものがない。1956年のハンガリーにおける政治革命の衝撃の下で、共産党から別れた異分子とトロツキズムに傾く独立のマルクス主義知識人たちが合流して、1957年に日本革命的共産主義者同盟と呼ばれる雑多な分子からなるグループを組織した。1950年代日本の敵意ある冷戦の反ソ主義という状況のなか、トロツキーの国際左翼反対派と何の結び付きもなかった日本の「トロツキスト」たちは、その当初から根本的に損なわれていた。日本革命的共産主義者同盟は、ソ連論で深く混乱するなか、結成から一年もしない内に様々な分派に分裂し始めた。これには「反スターリン主義者」、国家資本主義者(ソ連に資本主義が存在すると考える人々)、パブロ主義者が含まれていた。パブロ主義者は、革命の指導部のためのマルクス主義前衛によって導かれる労働者階級よりも、むしろ異質な階級勢力に期待をかけた。

 ハンガリー革命は、スターリニスト官僚がカーストであり支配階級ではないというトロツキストの立場を強力に立証するものだった。ハンガリー労働者党のかなりの部分が社会主義労働者共和国を創設しようとした蜂起の側へと身を投じた。ところが、この教訓は、日本革命的共産主義者同盟(JRCL)を形成した人々とその先駆者たちにあっては見失われたのである。彼らを結びつける唯一の絆は「反スターリン主義」であったが、それはプロレタリアの集産化された財産形態の保持をスターリニスト官僚打倒に従属させることによって特徴付けられる。

 1958年までに、黒田寛一は革マルを組織するためかなりのメンバーを引き出したが、その時JRCLは最初の分裂を経験した。革マルの当時のスローガンは、現在と同様「スターリン主義打倒!」、「帝国主義打倒!」であり、それによってスターリン主義と帝国主義を同等なものとしたのである。プロレタリアート独裁に対する黒田の嫌悪は、彼が著作『スターリン批判以後』の中で書いた1年後に全面開花した。

 「もし帝国主義国家が労働者国家に対して侵略戦争を始めるようなことがあれば、われわれは革命的敗北主義の旗の下で、断固としてそれに反対すべきである。しかし、このことはわれわれの普遍的、一般的、本質的な戦略がある特定の社会体制、労働者国家の防衛を決して意味しない。」

 労働者国家の無条件の防衛というトロツキストの立場は、集産化された財産諸関係に具体化されたプロレタリアの階級的性格から出て来る。それは、国有財産、計画経済、外国貿易の国家独占である。官僚主義的に歪曲されていたとしても、われわれのこうした国家の防衛は無条件である。つまりそれは、スターリニスト官僚の前もった打倒にも依らないし、諸状況や対立の直接的原因にも依らない。1940年にトロツキーは、堕落したソビエト労働者国家の労働者階級的性格を否定したマックス・シャクトマンのような背教者に対して、彼の最後の闘争を行った。「政治体制の堕落がいまだ国家計画経済の破壊を導いていないという状況から、われわれは帝国主義に対してソ連を擁護すること、官僚主義に対するソヴィエト・プロレタリアートの闘争を援肋することはいまだに世界プロレタリアートの義務なのだという結論を引き出す。」(「掻き疵から壊疽の危険へ」)

 革マルの「綱領」は、彼らが「ベトナム戦争反対!中国の核実験反対!」と書かれたプラカードを持って東京の街頭をデモした直後に実行に移された。ベトナムの英雄的な労働者と農民の勝利は、この国の資本主義支配の破壊とベトナムの歪曲された労働者国家の成立とをもたらした。帝国主義と内部の反革命に対して中国、北朝鮮、ベトナム、キューバといった歪曲された労働者諸国家を無条件に軍事的に防衛することは、これら諸国家が核兵器を蓄え実験する権利を防衛することを必然的に含む。小沢一郎は最近、日本が数ヶ月のうちに何千もの核弾頭を所有することができ、しかもそれらが中国を狙うものだと述べたが、こうした脅しは労働者諸国家が帝国主義の狂人たちを抑止するために核兵器を所有する必要があることを極めて明確にしている。1950年から53年の朝鮮戦争の間朝鮮半島と中国に、そしてその後ベトナムに、米帝国主義に原子爆弾を投下させなかったのは、ソ連がすでに核兵器を開発していたという事実だった。

 今日、元々のJRCLの残党は、かけはしとしてずっとよく知られている。「第四インターナショナル」と呼ばれているが、彼らが初期にパブロ主義を受け入れたことは、彼らがトロツキーと何らの共通点もないことを意味している。1950年代初めの第四インターナショナル内で、ミッシェル・パブロとその追随者たちは、第二次世界大戦後に東欧と中国でスターリニスト支配が拡大したことに印象主義的に反応した。彼らは、革命指導部ためのマルクス主義前衛に導かれた労働者階級よりも、むしろ異質な階級諸勢力に期待を寄せた。パブロ主義者は、何年にも亘って、最も雑多な階級勢力や政治潮流に追随してきたことで特徴付けられる。これには、「第三世界」のスターリン主義、フランスの大学生、ラテンアメリカの農民ゲリラ、作り話の「アラブ革命」、パレスチナのPLO、南アフリカのブルジョア民族主義者などが含まれる。これらは、プロレタリア前衛党の代役として、パブロ主義者が望んだ役割をうまく演じたのである。現在これは、新たな前衛として、「反グローバリゼーション」運動に追随するという形を取っている。

 「反グローバリズム」の抗議に関わっている若者の多くは、帝国主義と戦争を憎んでいる。ところが、かけはしはこの抗議運動の右翼を歓迎する。1999年のシアトルでの反WTOデモ以来、かけはしはアメリカ労働総同盟産業別労働組合会議(AFL/CIO)を称賛し、アメリカの労働組合官僚は「進歩的」になったと主張しているのである!この反共主義の抗議で特に標的とされたのは、中国の歪曲された労働者国家であった。排外主義の米国労働組合官僚は、港湾に中国の鉄鋼を投げ入れていたのである。またかけはしは、ATTAC組織の日本支部設立に援助の手を差しのべてきた。昨年夏イタリアのジェノヴァで、イタリアの準軍事的警察隊がカルロ・ジュリアーニを殺害し、何百人もの抗議者を逮捕したのに続いて、マスメディアにおいて「暴力」をえさにアナーキストの若者を標的とした反撃が起こった。この攻撃の目的は、人殺し警官と、その警官をアナーキストの抗議者に対し解き放ったブルジョア国家を弁解をすることだった。ATTACのスポークスマンのスーザン・ジョージと統一書記局派のフランス支部指導者アラン・クリヴィヌは、人殺し警官やブルジョア国家による抑圧を犠牲者のせいにしたのである。ATTACの7月20日の声明はイタリア警官を非難した。なぜなら「警官たちは、故意に、いわゆるブラック・ブロックという何百人もの煽動分子の準備と武装に目をつむった」からである。

瀬戸際の中国

 かけはしも革マルも、ソ連がもはや存在しないため世界は多いに変化したと述べている。ところが彼らにとって、世界初の労働者国家の破壊が招いた最悪の結果とは、今日米国が最大の軍事大国になってしまったということにすぎない。彼らが言及しないのは、日本帝国主義と一緒になって、1991年から92年にソビエトの堕落した労働者国家を破壊した資本主義反革命諸勢力を応援したということである。革マルは「反スターリン主義」のスローガンの下で、そしてかけはしは階級なき民主主義の呼びかけによってそうしたのである。この立場は、今日中国に関してもまったく同様である。そこでは日本と中国双方におけるプロレタリアートの革命能力に対する深い悲観主義が、自国支配階級と想像上の社会主義者とを調停する掛け橋の役割を果たしている。

 中国の1949年の革命は、この国を資本主義の搾取と帝国主義の従属から解放した。その結果計画化され集産化された経済が建設されたが、それは労働者や農民大衆にとって巨大な社会進歩を意味した。しかしながら、この社会革命はその初めから官僚主義的に歪曲されていた。ロシアの十月革命とは異なり、それは労働者階級によってなされた革命ではなかった。その代わりに権力を掌握したのは毛沢東の農民ゲリラ軍であり、それはプロレタリアートを政治権力から排除したのである。

 帝国主義者たちは、世界のこの地域を再度獲得し、より大きな経済的浸透と政治的転覆と増大した軍事的脅威を通じて資本主義を復活しようと決意している。北京のスターリニスト官僚は、中国を益々帝国主義に開放し、資本主義復活への道を掃き清めている。そして同時にそれは、新たな革命的爆発の基盤も準備しつつある。過去数年間、中国は、労働者の闘争と人々の抗議において、最も高い水準を示した国であった。特に毎週「市場経済」に対する何万もの労働者がストライキを行い、道路や鉄道でさえ封鎖し、警察と闘っている。われわれは、帝国主義と国内の反革命から、中国を無条件に軍事的に防衛するために闘う。必要なのは、レーニン主義トロツキスト党である。この党は、政治革命において、戦闘的な中国プロレタリアートを結合し導くであろう。そして政治革命は、労働者国家と1949年の革命の獲得物を掘り崩すスターリニスト官僚から、計画化され集産化された経済を防衛することを前提とする。

 ブルジョアジーに共鳴するなか、何年もの間革マルの新聞の主要なテーマは、「超大国」中国が日本の経済的、軍事的な競争相手として現われ出るだろうという恐れであった。革マルの奇妙なシナリオには、昨年まで、米国、ヨーロッパと中国、ロシアとが対立する「新東西冷戦」が含まれていた。ところがこの予言は、北京のスターリニストたちが犯罪的にも米国政府の「対テロ戦争」に同意の署名をした時、説明も無しに直ちになくなってしまった。革マルは、常に幻想的な「第三の道」を追求するなかで、中国と北朝鮮に狙いを定めた反革命的短剣である米帝国主義の戦域ミサイル防衛構想と、中国の軍備増強とを同一視する。革マルのシナリオのどこを探しても、日本帝国主義が見あたらない。そのシナリオは、実際、日本が米国や中国に飲み込まれないように、日本自身の権利で「超大国」となるように呼びかけているのである。

 中国の階級的性格はかけはしにとって謎であり、彼らは4年間に亘って中国が依然として労働者国家であるかどうかという議論を続けている。彼らの4月1日付けの新聞は次のような報告をしている。「第四インターナショナルあるいはその支持組織の中では、中国の国家規定に関する『分裂』が見られる。」ここで彼らは、彼らの香港の同志、先駆のメンバーに言及している。先駆は、第15回党大会で、中国に資本主義が「完全に」復活したという立場を主張した。中国のプロレタリアート独裁に対するこのグループの嫌悪は、何度も実証されてきた。先駆は、1996年10月のかけはしとのインタビューで、香港のスターリニスト支配は「イギリス植民地主義者の支配よりも悪いものだろう。なぜならイギリスは、数年前に民主的改革や市民選挙法や人権に関する法律を実行したからである」と述べている!また香港が中国に返還される時、彼らは国民党と共にデモに参加した。さらに昨年11月東京で開催された会議で、先駆の代表は、彼らが中国との戦争で資本主義台湾を防衛すると述べた。たとえ中国が資本主義であったとしても、中国は、国家統一の基盤に基づいて、台湾を主張する権利を持つだろう。われわれは中国の革命的再統一を呼びかける。すなわち、台湾における社会主義革命と北京官僚を打倒する労働者政治革命に基づく再統一である。

 実際中国問題に関して、マンデルの統一書記局派内に「分裂」はない。かけはしのメンバーが中国の階級的性格の問題に関して同意に達していないようだが、行動においては、彼らの党は、親資本主義の中国民主党からCIAに支援されたダライ・ラマに至る資本主義復活勢力に味方してきたのである。1999年、かけはしは、中国の江沢民国家主席の訪日に抗議する東京での街頭デモを組織した。この抗議は日本における反中国排外主義者にしか訴えることができなかっただろう。

 彼らにとっては中国の「民主化」しかないのである。「民主主義」をその階級的中味を無視して究極の進歩した歴史的目標として持ち上げることは、ブルジョア秩序の擁護者のための本にある最も古い策略である。1918 年、ドイツの社会民主主義者、カール・カウツキーは、ボルシェビキを「独裁者」と呼び「純粋民主主義」をこれに対置した。これに対してレーニンは次のように論駁した。「『純粋民主主義』とは、労働者をごまかす自由主義者のいつわりの空文句である。歴史上で知られているのは、封建主義にとってかわるブルジョア民主主義と、ブルジョア民主主義にとってかわるプロレタリア民主主義とである。」(『プロレタリア革命と背教者カウツキー』、1918 年)

 彼らの「民主主義」という考えから、彼らは、大慶や遼陽における最近の抗議に基づき、国際自由労連が発表したものを称賛している。そしてこれらの発表が「中国労働者の闘争に国際的関心を高めた」と主張している(4月1日)。国際自由労連は、韓東方やその『中國労工通訊』の仲間とともに、帝国主義の直接の代理人であり、労働者国家の中枢に直に狙いを定めた短剣である。「自由労働組合」は、ポーランドの歪曲された労働者国家の反革命的破壊において、連帯ともども力となる役割を果たした。そしてこの反革命は、何百万もの人々に失業と貧困をもたらしたのである。かけはしはこの連帯を歓迎した。CIAが資金提供する自由アジア放送にレギュラー番組を持つ韓東方とその仲間は、中国の歪曲された労働者国家を粉砕し、国じゅうに残忍な資本主義搾取を導入する立場に立っている。

 プロレタリア政治革命かそれとも資本主義反革命かという中華人民共和国の運命は、世界じゅうの労働者階級にとって途方もなく重要である。われわれの任務は、日本のプロレタリアートに、資本家から中国を防衛することが直接彼らの利益に適うという理解をもたらすことである。中国における資本主義の復活は、帝国主義諸国家、特に日本、米国、ドイツの間の対立を深めるだけではない。こうした国々は中国の階級的兄弟、姉妹たちを搾取する「権利」を求めて互いに闘っている。もし中国に資本主義が復活すれば、中国の生産手段の所有者が日本の労働者に対する攻撃を増大させるだろう。中国の防衛は、日本の資本主義秩序を一掃する社会主義革命に向け、労働者階級を動員する不可欠の一部である。トロツキスト党は、日本の労働者革命に向けた闘争を、腐敗したスターリニスト官僚に反対する中国労働者の闘争と、また資本主義支配者に対する戦闘的なフィリピン、韓国の労働者の階級闘争と結合するだろう。帝国主義の日本における社会主義革命を通じてのみ、アジア社会主義連邦の発展に向けその基礎が築かれるだろう。

意識のための闘争

 組織間の政治的議論を見ることは好ましい変化である。それは、日本の左翼に極めて特徴的である残忍な内ゲバそして会議や集会からのセクト的排除に反対するものである。

 われわれは、共産主義者の唯一の武器である意識に全く反対するような労働者運動におけるあらゆるギャング行為や暴力の現われに反対する。社会主義運動内の暴力問題には歴史がある。日本では、スターリンの入門書を繙くならば、共産党に加えて「反スターリン主義」の革マルや中核や解放派が、彼らを暴露する政治的議論を封じるために、かれらの左翼批判者をしばしば殺害してきたことが分かる。

 われわれはまた、労働者運動内の個人や組織を「公の」会合や集会から排除するかけはしのような組織の行いにも反対する。彼らが政治的相違を排除するのは、自身の政治を防衛することができないことに基づいている。かけはしが社会民主主義に一層近づこうとするなかで、彼らにとって共産主義者を排除することは益々重要となるだろう。なぜなら、社会民主主義は当然ながら共産主義者を好まないからである。

 レーニンとトロツキーが思い描いたような組織は今のところ日本には存在しない。存在するのは主観的な若い革命主義者たちを追い払う偽称者だけである。かけはしは、彼らの2001年10月29日付けの新聞で次のような泣き言をこぼしている。「左派の大衆的基盤を喪失させ、社会的規定力をほとんど失わせてしまった。それは改良主義的政治潮流や改良主義労働運動に対する左からの圧力の消減…」(つまり社会民主党と共産党)と。革マルは、階級闘争が衰退しているので、必要なのは「聖戦を認める」ことであると主張する(『解放』2月11日)。われわれは違う。

 われわれは、方向が新たな十月革命の達成であるグループを結集しようとしている。それ以外でもそれ以下でもない。国際共産主義者同盟は第四インターナショナルを再度鍛え打ち固めるために活動している。そしてその綱領と目的は、1938年の創立と同様今日も変わることなく有効である。国際共産主義者同盟はトロツキーの革命的遺産を守るために闘い、労働者革命の国際党を建設するために闘っている。労働者運動内の政治的不一致に処刑用鉄パイプでもって応える左翼組織さらにマルクス主義の綱領的立場を「教条的」だとして無視する人々に反対するなか、我々は、はっきりと規定され組織された革命的前衛党が優勢を占めるためには、階級内で対立する諸政党や諸潮流との政治闘争を続行することが不可欠であることを認識している。

 意識の後退を克服し、労働者階級がそれ自身で社会主義革命に向けて闘う階級となることができる唯一の方法は、労働者階級指導部としての国際的なレーニン主義トロツキスト党を建設することである。これこそスパルタシスト・日本グループが専心する目標である。

国際共産主義者同盟
(第四インターナショナリスト)
スパルタシスト・日本グループ
〒115-0091東京都北区赤羽郵便局私書箱49号

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